「地形図を広げる時間」が深めた人生観:計画の価値と予期せぬ出来事への心構え
机上の時間、山との対話
登山へ出かける前、私たちはしばしば机の上に広げた地形図に向き合う時間を持つものです。指で等高線を辿り、記号から植生や地形を読み取り、コンパスで方角を確認しながら、想像の中で山を歩く。この時間は、単なる物理的なルート確認にとどまらず、これから挑む山、そして自分自身との静かな対話の時間であると、経験を重ねるほどに感じるようになります。
若い頃は、この計画の時間はもっと単純だったかもしれません。体力に自信があり、多少の困難は気力で乗り越えられると考えていたからです。目標の頂上まで、最短距離で、計画した時間通りにたどり着くことこそが重要だと捉えていました。地形図は単なる道案内図であり、そこに隠された多くの情報や、読み解くことの奥深さに気づいていなかったように思います。
計画の綿密化と「不確実性」の理解
しかし、経験を重ねるにつれて、山は常に計画通りには進まないことを思い知らされます。予期せぬ天候の急変、想像以上に荒れた登山道、あるいは自身の体調の変化。そうした経験を重ねるたびに、地形図を広げる時間はより真剣なものとなっていきました。
単にルートを確認するだけでなく、代替ルートやエスケープルート、水場や山小屋の位置、そして地形から読み取れるリスク(例えば、沢の徒渉点や急峻な斜面、落石の危険性など)を仔細に検討するようになります。地形図の等高線が密であればあるほど、そこが急な斜面であることを示しており、一歩の重みが増すことを想像するのです。
それでも、どれほど綿密に計画を立てても、山では常に予期せぬことが起こりえます。ある時、詳細な地形図に基づき、念入りに計画した縦走ルートを歩いている最中に、想定していなかった場所で道が不明瞭になり、しばらく立ち往生した経験がありました。地形図上では明瞭な道が示されていたにも関わらず、実際は崩落により道が消えかかっていたのです。
その時、最初に感じたのは計画通りにいかないことへの焦りと、自身の読みの甘さに対する落胆でした。しかし、そこで立ち止まり、落ち着いて地形図と周囲の地形を再度照らし合わせることで、現在地を正確に把握し、安全な迂回ルートを見つけ出すことができました。
計画の価値と人生への示唆
この経験を通じて、「計画の価値」に対する考え方が大きく変わりました。計画は、完璧な未来予測ではなく、起こりうる様々な可能性を「想定」し、それに対する「心の準備」をするためのものであると理解したのです。地形図を読み解くことは、単にルートを知るだけでなく、その道のりの「困難さ」や「リスク」を事前に知り、それを受け入れる覚悟を養うプロセスでもあります。
そして、計画通りにいかない状況に直面した時にこそ、それまでの計画段階での思考訓練が生きてきます。計画は現場での状況判断や柔軟な対応を支える土台となるのです。地形図とコンパス、そして自身の経験に基づいた判断力が、予期せぬ状況下で最良の選択をするための指針となります。
この学びは、登山だけにとどまりませんでした。仕事や人間関係、あるいは人生における大きな選択など、日常生活においても「計画」は重要ですが、同時に「計画通りにいかないこと」はつきものです。登山で培った、綿密な準備をしつつも、不確実性を受け入れ、現場での状況に応じて柔軟に対応する力は、人生の様々な局面で活かされていると感じています。
終わりに
地形図を広げる時間は、私にとって今もなお、単なる登山の準備時間以上の意味を持っています。それは、過去の経験を振り返り、未来の山行に思いを馳せながら、計画の奥深さと、予期せぬ出来事への心構えを学ぶ、人生における大切な時間なのです。一枚の紙の上に広がる山々は、時に厳しく、時に優しく、私たちに多くのことを語りかけてくれるように感じています。