一歩先の自分へ - 登山

靴紐を結ぶときの内省:足元への集中が深める自己との対話

Tags: 登山, 内省, 準備, 足元, 自己対話

山行前の静かな時間

山へ向かう朝、あるいは山小屋で出発準備をする時間。装備を確認し、ザックを背負い、そして靴紐を結ぶ。この一連の動作は、私たち登山家にとって日常的な、そして時にはほとんど無意識に行われる準備の一環です。しかし、この靴紐を結ぶという行為の中にこそ、深く自分自身と向き合い、大切な内省の機会が隠されているように感じています。

多くのベテラン登山家にとって、靴は長年の相棒であり、足元は安全の基礎です。その靴の紐を結ぶという、一見些細な動作に心を込める時間は、単なる物理的な準備を超えた意味を持ちます。それは、これから踏み出す一歩一歩の確実性、そして自分自身の心と体の状態を確認する静かな儀式とも言えるでしょう。

足元に意識を集中するということ

私は長年の登山経験の中で、この靴紐を結ぶ瞬間に意識を集中することの重要性を痛感してきました。急いでいたり、気が散っていたりする時に、いい加減に結んだ靴紐が、歩いている途中で緩んだり、結び目が偏って足に負担をかけたりする経験は、一度や二度ではありません。些細なことのように思えますが、それが原因で集中力を欠いたり、歩行のリズムが崩れたりすることは、山の安全において看過できないリスクとなり得ます。

靴紐を丁寧に結ぶとき、私は自然と自分の足、そして体全体の状態に意識を向けます。昨日の疲労はどの程度か、足首の調子はどうか、靴とのフィット感はどうか。そうした体の声に耳を澄ませるのです。同時に、これから向かう山への心構え、ルートの難易度、予想される天候などを頭の中で整理します。靴紐を引く強さ一つにも、その日の体調や心の状態が反映されているように感じます。きつすぎれば足が窮屈になり、緩すぎれば不安が残る。適切な強さで結ぶことは、自分自身の感覚を正確に把握する練習でもあります。

靴紐が語る自己との対話

この「靴紐を結ぶ時間」は、私にとって一種の自己との対話の時間となりました。かつては、山頂を目指すことや行程をこなすことばかりに気が向き、足元や自分自身の内面に十分な注意を払っていなかった時期もありました。しかし、経験を重ね、幾つかの困難な状況や小さな失敗を経験する中で、基礎の基礎である「足元をしっかりと固める」ことの重要性を学びました。

靴紐を丁寧に結ぶ行為は、人生における「準備」や「足元を固める」ことの象徴のように思えます。どんなに壮大な計画や目標があっても、最も基本的な部分、今、自分が立っている場所、頼りになる道具、そして何よりも自分自身の状態に意識を向けなければ、確かな一歩を踏み出すことはできません。急ぎ足で人生を進もうとする時も、ふと立ち止まり、足元、すなわち今ある自分自身と向き合う時間を設けることの重要性を、山へ行くたびに靴紐が思い出させてくれます。

この静かな時間を通じて、私は自分自身の弱さや限界を謙虚に受け入れることも学びました。無理をしない、過信しない、そして常に基本的な確認を怠らないこと。それは、単に安全な登山のためだけでなく、人生を歩む上でも大切な心構えとなりました。

足元から広がる人生の視点

山から下りても、この「足元に意識を向ける」習慣は私の中に残っています。日常生活で何か新しいことを始める前、あるいは困難な状況に立ち向かう時、私は意識的に自分自身の心と体の状態を確認し、基本的な準備ができているかを省みるようになりました。それは、山で靴紐を結ぶ時の、あの静かで集中した時間と同じ感覚です。

靴紐を結ぶという、ごく当たり前の行為が、これほどまでに深い内省と自己との対話の機会を与えてくれるとは、若い頃には想像もしていませんでした。しかし、長年の経験を経て、足元への集中から広がる視点が、自分自身をより深く理解し、人生の一歩一歩をより確かに踏み出すための大切な支えとなっていることを実感しています。

山へ向かう準備の時間は、単なる手続きではなく、これまでの経験とこれからの歩みを繋ぐ貴重な時間です。そして、その中でも靴紐を結ぶという行為は、自己との静かな対話を促し、足元を固めることの大切さを改めて教えてくれるのです。次に山へ行かれる際、靴紐を結ぶその瞬間に、少しだけ意識を向けてみてはいかがでしょうか。きっと、新たな気づきがあるはずです。