一歩先の自分へ - 登山

同じ山に繰り返し登ることで深まった人生観:季節と時の流れが教えること

Tags: 繰り返し登山, 人生観, 時の流れ, 季節, 内省, 成長, 変容

同じ山に繰り返し登ることの意味

多くの登山家にとって、新しい山、未知のルートへの挑戦は大きな魅力の一つでしょう。しかし、長年登山を続けていると、同じ山に何度も足を運ぶ機会も増えてくるものです。若い頃はひたすらピークを目指し、体力の限りを尽くすことに価値を見出していたかもしれません。しかし、年齢を重ね、経験を積むにつれて、同じ山に繰り返し登ることの中に、また違った、より深い意味を見出すようになることがあります。

それは単に「慣れた山だから楽だ」ということではありません。同じ山でも、季節が変われば全く異なる表情を見せますし、同じ季節でも、年によって、あるいはその日の天候によって、山は常に新しい発見を与えてくれます。そして何より、同じ山に立つ「自分自身」が、時間の経過とともに変化していることに気づかされるのです。

初めての山、そして再会の山

初めてその山に登った時のことを覚えています。地図を広げ、ルートを確認し、一歩一歩、未知への期待と少しの不安を抱きながら登りました。体力は今よりずっとあり、ひたすら頂上を目指すことに集中していました。道のりの細部、足元の植物、鳥の声よりも、いかに早く、確実に頂上にたどり着くかに関心がありました。地形図で現在地を確認し、コンパスで方角を確かめながら、黙々と高度を上げていったものです。頂上に立った時の達成感は格別でした。

それから何年か経ち、再びその山に登る機会がありました。ルートは以前と変わらず、見慣れた景色が広がっているはずなのに、どこか違って見えました。以前は見過ごしていた苔の美しさ、岩肌の質感、木々の葉を透過する光の加減。それは、私自身の心のあり方が変化していたからかもしれません。体力は以前ほどではないと自覚し始めており、無理に急ぐことなく、自然と足元や周囲に目を向ける余裕が生まれていました。山は何も変わっていないのに、受け取る側の感性が変わったことで、まるで初めて訪れたかのような新鮮な驚きがあったのです。

時が教えてくれた山の表情

さらに長い年月が流れ、体力はピークを過ぎ、登山に対する向き合い方も大きく変わりました。かつてのような速いペースで登ることは難しくなりましたが、その代わりに、立ち止まる時間が増えました。立ち止まって、呼吸を整え、周囲を見渡すたびに、以前は気づかなかった山の声が聞こえてくるような気がします。

春の芽吹き、夏の緑の深まり、秋の紅葉、冬の静寂。同じ尾根道でも、季節ごとに全く違う物語を語りかけてきます。そして、同じ季節でも、その日の空気の冷たさ、風の音、差し込む光の角度によって、山の表情は千変万化します。これらの変化に気づくためには、焦らず、ゆっくりと、五感を研ぎ澄ませる必要があります。かつての「頂上へ」という目標から、今は「山の中に身を置く」こと自体に価値を見出すようになったのです。

山の変わらぬ姿と、内なる変化

同じ山に繰り返し登る経験は、山の変わらぬ壮大さと、それと対照的な自分自身の変化を鮮やかに映し出します。若い頃の自分、働き盛りの頃の自分、そして現在の自分。体力、考え方、人生の優先順位。山は静かに、しかし確実に、私が歩んできた時間と変化を教えてくれます。

地形図とコンパスで現在地を確認するように、人生においても今自分がどこに立っているのか、そしてどこへ向かおうとしているのかを内省する時間を持つことの重要性を山は教えてくれます。かつては「道に迷うまい」と必死でしたが、今は時に立ち止まり、景色を眺め、深呼吸することで、心の中の「道」を見つめ直すことができます。

繰り返し登る山がもたらす人生の深まり

同じ山に繰り返し登ることは、決して単調な行為ではありません。それは自分自身の内面と向き合い、時間の流れを受け入れ、人生の節目節目における自身の変化を慈しむ時間です。季節が巡るように、人生にも様々な季節があります。体力がある時もあれば、衰えを感じる時もある。順風満帆な時もあれば、困難に直面する時もある。山は、そうした人生のサイクルを静かに見守り、どんな状況であっても、その中に美しさや学びがあることを教えてくれます。

繰り返し登る山は、いわば人生の道しるべであり、自分自身を映し出す鏡です。そこで得る気づきは、単なる山行の記録を超え、人生全体の深い理解へと繋がっていきます。これからも、同じ山に足を運び、その変わらぬ姿と、変化していく自分自身の両方と対話を続けていきたいと考えています。