油断が招いた忘れ物:登山が教える謙虚さの価値
経験が深まるほどに問われること
長年山に親しんでいる方であれば、誰しも一度や二度、いや、数えきれないほど多くの山行を重ねてこられたことと思います。体力、技術、知識、そして経験。これらは間違いなく安全な登山を支える大きな柱となります。しかし、時にこの豊富な経験こそが、私たちの中に一つの「油断」を生み出すことがあります。
「この程度の山なら大丈夫」「いつも使っている道具だから問題ないだろう」「以前にも来た道だから」――そういった、無意識のうちに生まれる慢心や見落としが、思わぬ事態を招く引き金となることがあるのです。そして、私自身もまた、そうした油断からくる小さな失敗が、いかに大切な教訓を与えてくれるかを山で学んできました。それは、技術や体力といった外面的なものとは異なる、より根源的な、山と人生における「謙虚さ」の価値でした。
小さな忘れ物が教えてくれたこと
ある比較的易しいとされている山域での山行でした。何度も訪れたことのある場所で、天候も安定しており、ルートも明確です。いつものように準備を進めているつもりでしたが、どこかに気の緩みがあったのでしょう。出発してからしばらく経って気づいたのは、いつも携行しているはずのコンパスを家に忘れてきてしまったことでした。
その時はまだ、地形図は持っているし、スマホのGPSもあるから大丈夫だと軽く考えていました。実際、大きな問題もなく目的地には到着できました。しかし、山頂で休憩している時、ふと地形図を広げてみたのですが、コンパスがないと、その地形図上の現在地と実際の地形との向き合わせが非常にやりにくいことに気づいたのです。スマホの画面上ではルートが点として示されますが、紙の地形図とコンパスがあれば、より広範な地形を捉え、周囲の状況やもしもの場合の代替ルートなどを立体的に把握することができます。その時、改めて地形図とコンパスが一体となって初めて真価を発揮することを痛感しました。
さらに、もしスマホのバッテリーが切れたり、電波が届かない場所で迷ったりした場合、地形図とコンパスだけが頼りになります。その「もしも」の備えを、当たり前だと思っていたコンパスを忘れたというたった一つのミスによって失っていたのです。幸い大事には至りませんでしたが、この小さな忘れ物は、私の中に潜んでいた油断を如実に突きつける出来事でした。
経験は知恵をもたらすが、謙虚さを忘れてはならない
なぜ、いつも当たり前のように確認していたコンパスを忘れてしまったのか。それは、「簡単な山だから」「慣れているから」という油断があったからです。経験が増え、無意識のうちに物事をパターン化し、「これくらいは大丈夫だろう」と省略してしまう。その省略の中に、確認すべき重要なステップが含まれていたのです。
この経験から学んだのは、山においてはどんな状況であっても、基本的な準備や確認をおろそかにしてはならないということです。それは単なる安全確保のためだけでなく、山という大いなる自然に対する「謙虚さ」の現れなのだと感じました。山の前に立つ時、どんなに経験を積んでいても、私たちは常にその力を畏れ敬い、最悪の状況も想定した準備をする必要があります。自分の能力や経験を過信し、自然を軽んじるような態度が、油断を生み、ミスを招く。そして、その積み重ねが、いつか取り返しのつかない事態を招く可能性を孕んでいるのです。
謙虚さの学びが人生にもたらすもの
この山の経験は、私のその後の登山への向き合い方だけでなく、人生全般における考え方にも影響を与えました。
どんなに慣れた仕事でも、どんなに親しい人間関係でも、当たり前だと思って確認を怠れば、思わぬ落とし穴があること。成功や経験によって得られる自信は大切ですが、それが慢心へと繋がらないよう、常に自分自身を客観的に見つめ、基本的なことを丁寧に行う姿勢が重要であること。そして、常に学び続けること、知っているつもりでいることこそが危険であること。
山での忘れ物や準備不足という小さな失敗は、そうした人生における大切な「謙虚さ」の価値を、改めて私に気づかせてくれたのです。山は、私たちに挑戦する機会を与えてくれると同時に、常に自分自身の内面と向き合い、成長させてくれる場所です。どれほど経験を重ねても、山への、そして人生への謙虚な姿勢を忘れない。それが、「一歩先の自分」へと進むための、揺るぎない足場となるのだと感じています。