高所への恐怖心が教えてくれたこと:限界への挑戦と内なる成長
山道に潜む「怖い」という感情
長年山を歩いてこられた方々であれば、一度や二度、あるいはそれ以上に、「怖い」という感情に直面したご経験があることと存じます。それは悪天候に見舞われた時かもしれませんし、予想外の困難な地形に差し掛かった時かもしれません。多くの登山者が少なからず抱く感情の一つに、「高所への恐怖心」があります。足元が切れ落ちたガレ場や、鎖が連続する岩稜帯、細く視界の開けた尾根道など、標高が高くなるにつれて現れるこうした場所で、思わず足がすくみ、全身が硬直してしまう、そんな経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
若い頃は無鉄砲なほどに怖れを知らず、勢いだけで乗り越えられた場所も、経験を積み、自身の限界やリスクをより深く認識するようになるにつれて、あるいは加齢に伴う体力の変化とともに、以前は何とも思わなかった場所に恐怖を感じるようになることもあります。この高所への恐怖心は、単なる山の技術や体力だけではどうにもならない、もっと内面的な、自己との向き合いを迫る感情であるように感じています。
恐怖心との対話:逃げるのではなく、受け入れる
私自身、かつては高所を得意としていませんでした。むしろ、正直に言えば苦手意識の塊でした。高度感のある場所では呼吸が浅くなり、手足が震え、まるでそこに縫い付けられたかのように動けなくなってしまうのです。そんな自分を情けなく思い、他の登山者との経験の差を感じて引け目を感じることもありました。しかし、山を続ける中で、この恐怖心から目を背けるのではなく、むしろ真正面から向き合ってみようと考えるようになりました。
まず始めたのは、「怖い」という感情を否定せず、そのまま受け入れることでした。「怖いと感じるのは、危険を察知する自己防衛の本能的な反応であり、それは決して恥ずかしいことではない」と自分に言い聞かせました。そして、その恐怖心を「乗り越えるべき敵」と捉えるのではなく、「自己理解のための手がかり」として見るように努めました。なぜ怖いのか、具体的に何が不安なのかを細かく分解してみるのです。足が滑るのではないか、バランスを崩すのではないか、落石を起こしてしまうのではないか、など、具体的な不安要素を特定することで、漠然とした恐怖が少しずつ整理されていきます。
小さな一歩が築く自信
受け入れることから始まった私の高所克服への道のりは、非常に小さな一歩の積み重ねでした。いきなり難易度の高い岩稜帯に挑むのではなく、まずは比較的安全な場所で、高度感に慣れることから始めました。視線を遠くに向けすぎず、まずは足元や数メートル先の安全な場所を見るようにする。呼吸をゆっくりと整え、体幹を意識し、足裏全体で地面の感触を確かめる。こうした基本的な動作に集中することで、余計な思考から意識をそらし、目の前の「今、ここ」に集中する訓練をしました。
経験を重ねるにつれ、足場の選び方、体の重心の置き方、ホールドの見つけ方など、実践的な技術が自然と身についていきました。もちろん、地形図で事前にルートの状況を把握し、危険箇所を予測することも重要です。鎖や梯子を使う場合は、三点支持を基本とする、体重をどのようにかけるかといった、基本的な安全技術を確実に実行することにも意識を向けました。これらはアナログな技術ですが、体の動きと直結しており、恐怖心を和らげる上での物理的な支えとなります。
成功体験は、たとえ小さなものであっても、自己肯定感を大きく高めてくれます。少しずつ、以前は怖くて通れなかった場所を、ほんの少しだけスムーズに通過できるようになる。その小さな変化を自分で認めてあげること。そうすることで、恐怖心という壁は、乗り越えられない絶壁から、一歩ずつ登れる傾斜へと変わっていきました。
恐怖心との向き合いが変えた人生の視点
登山で高所への恐怖心と向き合い、一歩ずつ乗り越えてきた経験は、私の人生観にも大きな影響を与えています。かつては、困難や未知の状況に直面すると、すぐに「できないかもしれない」と決めつけ、挑戦する前から諦めてしまう傾向がありました。しかし、山で「怖い」という感情を抱きながらも、呼吸を整え、足元を確かめ、注意深く進むことで、いつの間にか危険な場所を通過できていた、という経験を重ねるうちに、困難な状況でも「できる方法」を探す癖がついたのです。
それはまるで、人生における「高所」や「岩場」に立ち尽くすのではなく、まずは「怖い」という感情を認め、深呼吸をし、自分の持っている力(知識、経験、周囲のサポートなど)を総動員して、目の前の一歩に集中することの大切さを知ったかのようでした。
また、恐怖心は常に危険を教えてくれるサインでもあります。無理な挑戦はせず、時には引き返す勇気も必要です。この「撤退する判断」もまた、高所への恐怖心と向き合う中で学んだ重要な教訓です。自分の能力や状況を冷静に判断し、安全を最優先する選択は、決して後退ではなく、次の挑戦への準備であることを知りました。これは人生における困難な決断を下す際にも、冷静さと自己信頼を持って臨むための礎となっています。
恐怖心は、まだ見ぬ自分への道標
高所への恐怖心は、完全に消え去るものではないかもしれません。しかし、それがあるからこそ、私たちは自身の限界を知り、安全への意識を高め、そして何よりも、それを乗り越えるたびに自己の内なる強さを発見することができるのです。
山での恐怖心との向き合いは、まさに自分自身との深く静かな対話です。その過程で得られる自己理解、困難を乗り越えるための知恵、そして小さな成功体験が積み重なって生まれる自己信頼は、山を下りた後の日常生活においても、私たちをより強く、しなやかにしてくれる力となります。
「怖い」という感情は、私たちにまだ見ぬ自分自身の可能性を示唆しているのかもしれません。一歩先の自分へ。山の恐怖心と向き合う旅は、そのための確かな一歩であると信じています。