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山の道の多様性が教えてくれたこと:人生における道の選択と受け入れ

Tags: 登山, 人生観, 自己成長, 内省, 道の選択

山の道の多様性が映し出す人生の道筋

山を歩くとき、私たちは様々な種類の道に出会います。よく整備され、歩きやすく、標識も豊富な道もあれば、草が生い茂り、岩が転がり、時には踏み跡すら不明瞭な荒れた道もあります。これらの道の多様性は、私たちの人生そのものに重ね合わせることができるのではないかと感じています。

整備された道が与えるもの

整備された道は、安全で効率的に目的地へ到達することを可能にします。迷う心配も少なく、一定のペースで歩みを進めることができます。これは、まるで順調に進む人生のようです。計画通りに物事が運び、大きな困難に直面することなく、目標に向かって着実に歩んでいける時期。そのような道は、私たちに安心感と安定をもたらしてくれます。

しかし、時にそのような道は単調に感じられることもあります。周囲の景色に気を取られることなく、ただ足元の舗装された部分だけを見て歩いてしまう。それは、人生においても、ルーチンワークをこなすだけになったり、世間一般の「正しい」とされる道を進むことに終始したりすることで、予期せぬ発見や自分自身の内面と深く向き合う機会を失ってしまう状況に似ているかもしれません。整備された道には、安全という利点と引き換えに、自身の五感を研ぎ澄まし、周囲の変化に気づく感性を鈍らせる側面もあるように感じます。

荒れた道が問いかけるもの

一方、荒れた道は、私たちに多くの問いを投げかけます。どこに足を置くべきか、次にどう進むべきか、常に判断を迫られます。時には道を見失いそうになり、地形図やコンパスを取り出して現在地を確認する必要に迫られることもあります。倒木があれば乗り越えるか迂回するか、崩壊地であれば安全なルートを探す。一歩一歩が、技術と注意力を要する挑戦となります。

このような道は、人生における困難や予期せぬ出来事のメタファーです。計画通りに進まない、予想もしなかった壁にぶつかる、自分自身の力で道を切り開かなければならない状況。荒れた道は、私たちに粘り強さ、臨機応変な対応力、そして自己責任に基づく判断力を求めます。

困難な道だからこそ、乗り越えた時の達成感は大きいものです。また、整備された道では見過ごしてしまうような、道の脇にひっそりと咲く花や、岩に根を張る木の生命力といった、自然の力強い営みに気づかされることもあります。それは、人生の苦難の中でこそ見えてくる、人間関係の温かさや自身の内なる強さ、あるいは当たり前だと思っていたことへの感謝の念といった、大切な「景色」に通じるように思うのです。

道の選択と受け入れの心

山では、目的地へ至るために、整備された道を選ぶことも、より挑戦的な荒れた道を選ぶことも可能です。あるいは、その両方を組み合わせることもあります。この「道の選択」は、人生におけるキャリアの選択、居住地の選択、あるいはどのような価値観を大切にするか、といった大きな選択に似ています。安全で確実な道を選ぶのか、それともリスクを伴っても自身の可能性を追求する道を選ぶのか。

しかし、人生には自らの意志で選択できる道だけでなく、予期せず目の前に現れる「荒れた道」や、時には「行き止まり」に見える道もあります。そのような時、山で培った経験が活きてきます。荒れた道に直面しても、「これは自分を成長させる機会だ」と受け入れる心構え。道に迷いそうになったら、焦らず立ち止まり、冷静に状況を判断し、自身の知識(地形図やコンパスのような)を頼りに進むべき方向を見出す力。そして、時には勇気をもって引き返す判断力。

山で歩いた様々な道の一つ一つが、私たちの内面に積み重なり、人生の多様な局面を乗り越えるための礎となっていくのです。整備された道での安心感も、荒れた道での格闘も、すべてが私たちを形成する重要な要素です。

すべての道に学びがある

今、振り返ると、私が歩んできた人生の道もまた、整備された部分と荒れた部分が複雑に絡み合ったものでした。若い頃は迷いなく突き進める整備された道を求め、困難を避けようとしていたかもしれません。しかし、山を歩く経験を重ねるにつれて、荒れた道こそが多くの学びと気づきを与えてくれることを体感しました。

道の選択は確かに重要です。しかし、それ以上に大切なのは、今自分が立っている道がどのような道であれ、そこから何を学び取り、どのように歩んでいくか、という姿勢そのものなのではないでしょうか。山の道の多様性を受け入れるように、人生の道の多様性を受け入れ、一歩一歩を大切に歩んでいくこと。それは、山が私たちに教えてくれる、深く普遍的な教訓の一つであると感じています。これから歩む道も、どのような景色を見せてくれるのか、その未知への期待とともに、ただただ、足元の一歩に心を込めて進んでいきたいと考えています。